五十嵐 乃里枝(いがらしのりえ)
霜月ともなれば、奥会津にはそろそろ雪の便りがやってくる。
十一年前に、会津の山の木々を活用するために林業従事者の育成が必要ということで始まった「木こりプロジェクト・山学校」。学校という名はついているが、カリキュラムがあってそれを履修すると伐採資格が得られるという類のものではない。それでも、初心者、経験者合わせて毎回十数名の参加者がいて、リピーターも多い。
この「山学校」の名物は、午前中みっちりと取り組む「チェーンソーの目立て」である。林業に馴染みのない方にはわかりにくいと思うが、チェーンソーというだけあって、鎖状になった小さな刃がモーターで回転して木を伐る仕組みになっている。その鎖状に連なる四十以上の小さな刃を、細い丸ヤスリを使って研いでいくのだが、ヤスリを当てる角度と力の入れ具合で、良い刃に仕上がるかどうかが決まってくる。もちろん“デプスゲージ”という角度確認のための工具もあるが、山学校の親方は、それに頼らずに、自分の身体で角度と力の入れ具合を覚えるようにと指導している。参加者は午前中の約三時間、黙々と刃を研いで、丸太を切って切れ味を確認し、またヤスリで研ぐのを繰り返す。その仕上がりが午後の現場、山林での立木の伐倒で試されることになるので、取り組む皆の表情は真剣だ。

なぜこれほどチェーンソーの手入れにこだわるのか。それは、安全で正確な伐倒作業のためには、素早く切れるチェーンソーが必要だ、という親方の経験からだ。木を伐採するという仕事は、決して安易な仕事とは言えないし、少し何かを間違えれば、重大事故につながる。だからこそ、危険な作業時間をなるべく短くするために、道具を常に良いコンディションに保っておくことが重要なのだ。そして研いだ後の仕上がりは、自分の指で刃を触ってみて、研ぎ具合を確認するように、というのが親方のこだわりだ。ちょっと力を入れすぎたら指先を切ってしまうわけで、刃の仕上がりは素手で触って確認すること、などとはもちろんどんな教本にも書いていない。
現在さまざまな作業現場で機械化が進み、AIが導入され、重労働や危険な仕事に人が関わらなくてもよくなってきている。危険な仕事をなるべく排除することで事故を減らしていくための技術は今後ますます進歩していくだろうし、現場で作業する者もその恩恵を受けていくことになるのは間違いない。
しかしそれだからこそ、自分の五感を磨く訓練をおろそかにしてはならないと思う。一本の木を伐るとき、頼れるのは自分自身の感覚だ。木の高さや傾き、生えている場所の傾斜や蔓の絡まり、その時の風の向きなど、ひとつとして同じ条件はない。その現場を自分の五感と手入れした道具でどうクリアするか。その緊張感と達成感が、山学校の参加者たちを惹きつけているのだと思う。それは毎回、午後の伐倒研修を終え、汗だくになってヘルメットを脱いだ時の各々の晴れやかな表情からも見てとれる。
このように五月から月一回開催してきた「山学校」であるが、十一月をもって今年の分は一旦終了である。続きはまた来年、雪がとけてから…。
(月刊会津嶺 2025年11月号【風・奥会津】より転載)