五十嵐 乃里枝(いがらしのりえ)
奥会津という地に生まれ、育まれた十五年間。その頃はひたすらに、周囲を囲む山々を越えて、外の世界を見てみたいと願っていた。その願いの通り、他の地域に暮らし、さらに十五年を過ごしていたのだが、縁あって、居を定めるべく奥会津へと戻ってきた。ところがその頃の自分にとって故郷であるはずのその場所は、決して住みやすいところではなかった。それまで培ってきた(と思っていた)一人の個人としての自分というものよりも、どこの誰かという出自や、どこの嫁か、という立場によって認識されることが多く、それまで都会や海外で暮らして身についた物の考え方が通用しないこともしばしばだった。
しかし、そんな居心地の悪さを抱えながらも奥会津で暮らし、四人の子供を育て、義父母を見送りながら、あっという間に三十年が過ぎた。暮らしていく中で角が取れたのかもしれないし、ただ単に年を取ったからなのかもしれないが、当時感じていた葛藤は、まあ、どうでもよくなった。自分が正しいと思うことが必ずしも正解ではない。変えられるのは自分だけで、自分の見方が変われば、周囲の世界も変わる。
そんなふうに考えられるようになったのは、三十年間繰り返し過ごしてきた奥会津の冬と雪解けの季節のおかげのように思う。
奥会津の冬は、雪とともにある。その暮らしは厳しく、労力がいることは確かだ。冬の豪雪を避けてこの地を離れたい気持ちになるのも、責められない部分もある。来る日も来る日も雪が降り積もり、一生懸命片付けても、また次の日の朝には昨日以上に雪が積もっていることもある。家がすっぽりと隠れてしまうほどの雪を前にしては、もはやなすすべがない気持ちになってしまう。人の力ではどうにもできない大きな自然の力があるということを雪は思い知らせてくれる。だがその一方で、あたり一面を覆うこの雪も、春が来れば必ず消えてなくなるということもまた、自然は約束してくれているのだ。
そしてやってくる奥会津の春は力強く、エネルギーにあふれている。モノクロームだった世界が、木の根明いて、灰色の木々の芽がふくらむようになると、遠目からぼおっと赤く煙ったように見えるようになる。木々の芽吹きが始まると、萌黄色から若緑へと次第に色が濃くなっていく。「緑」と表現される色が実に何種類ものバリエーションがあり、その色あいや濃淡が、日々刻々変化するさまを目の当たりにしながら暮らすことができるこの数週間は、一年で一番贅沢な時期だと思う。それは雪深い冬を耐え抜いたことへのご褒美だ。そこには、どんなに大雪でもそのあとには必ず雪を融かす春がやってくるように、どんなに厳しく苦しい時期があっても、そのあとには必ず善き時代が訪れるという励ましのメッセージが添えられている。
『月刊会津嶺』2025年5月号より転載