須田 雅子(すだまさこ)
2022年12月4日、南会津町の御蔵入交流館で、「田島衹(衹はネ偏)園祭屋台歌舞伎保存会」(以下「保存会」)創立30周年を記念する特別公演が行われた。「田島衹園祭」は、毎年7月22日から3日間開催される南会津町田島地区の田出宇賀神社と熊野神社の祭礼で、京都、中の津島(愛知)とともに、日本三大衹園祭の一つといわれる。
会津の歌舞伎の歴史に詳しい奥会津博物館の文化財専門員 渡部康人さんの「田島衹園祭屋台歌舞伎略史」によれば、1700年代後半には屋台歌舞伎が行われていたと考えられ、明治元年(1868年)の戊辰戦争時に行われた「田島衹園祭」でも屋台歌舞伎が上演されていたという。子どもによる屋台歌舞伎は、学制発布により明治10年代から長らく途絶えていたのだが、平成6年(1994)に復活した。
今回の周年記念公演では、授業の一環として取り組んでいた、田島小学校3年生の児童たちが、地元の中世の山城を舞台にした演目「時津風日乃出松~鴫山城内の場~」を最初に披露した。三味線の音に合わせて義太夫語りの子どもたちが声を目一杯に張り上げる。きらびやかな衣装を小さな体にまとった子どもたちが、手足をいっぱいに動かして演じる様子は実にかわいらしく、しかも立派だ。言い回しの難しい長い口上を、独特の抑揚で語るのも堂々としていて見事だし、小道具を片づけたり、衣装の早変わりを補助したりと、黒子たちも目立たぬように素早くお役目を果たしていた。タイミングよく打ち鳴らされる鳴物も含め、全員があっぱれだった。
第二部、第三部は、保存会による演目だ。第二部の「仮名手本忠臣蔵 三段目 ~足利館殿中松の間の場~」の上演は、平成26年の第2回公演以来であり、今回のメンバーでは初披露だ。今回は、化粧をせず、かつらもつけない「勉強会」という形で上演された。
第三部の「南山義民の碑 ~田島小川屋の場~」は、人形を使ったユーモアのあるシーンや、アクロバティックな立ち回りもあり、観客席から笑いと歓声が上がった。
田島地域の文化の底力に驚かされた公演だった。来夏は是非、「田島衹園祭」を見てみたい。