須田 雅子(すだまさこ)
「会津山村道場」(南会津町)の手前にある「奥会津博物館」。会津の南西部に位置し、江戸時代に「南山御蔵入領(みなみのやまおくらいりりょう)」(※)と呼ばれた山深い地域で使われてきた生活用具や生産のための道具などが、国の重要有形民俗文化財に指定されたものを含め、約3000点展示されている。奥会津の人たちの一昔前までの暮らしぶりが窺える、とても見ごたえのある博物館だ。
(※)南山御蔵入領は、寛永20年(1643)から慶応4年(1868)までの225年間、江戸幕府の直轄地として統治された。
奥会津という地域そのものが、まるで生きた民俗資料館のようなものなので、展示品の中には今でも使われているものもある。80代以上くらいの人たちにとってはノスタルジーの宝庫といえる。「昔、使ってたんだぞー」と懐かしがるようなものがたくさんある。
奥会津博物館の文化財専門員である渡部康人さん(昭和35年/1960年生まれ)は、小学校の頃から天秤棒担ぎを手伝わされたという。印象的なお話だったので、以下に紹介する。
天秤棒の両脇の肥桶に人糞を入れて肩で担いでいた。とにかく重いんで、この天秤棒のしなりに合わせてサッササッサと歩いて田んぼとか畑に持っていって、散布して肥料に使っていた。肥桶が重いんで天秤棒がしなるわけですよね。そのしなるようなリズムに合わせて歩(ある)っていく。でないと、こぼれちゃったり。途中で、もうぶん投げたくなるくらい重かった。
ただ、こういう人糞を撒いて、堆肥を作って撒いた田んぼで収穫した新米は、キラキラ光って本当においしかった記憶がある。
小学校のときにはもうやらせられていた。もう嫌で嫌でしょうがない(笑)。みんな遊んでるのに、俺だけこんな天秤棒担いで。でも、それで基礎体力がついた。
昔の民具の使用経験を聞くほどに、展示品の一つ一つが内側から強い力を発してくるような気がする。手作りの道具たち、人と協同で働いてきた民具たちが何かをうったえかけてくる。