須田 雅子(すだまさこ)
2022年9月、沖縄の久高島で中秋の名月に願い事をした夜は、宿に戻った後も頭が冴えてしまってなかなか眠れなかった。翌朝、那覇に移動し、日頃から親しくしている大学のお月見仲間と国際通りを散策した。月への願いの効果を実感したのはこの時のことだ。
まず、「那覇市伝統工芸館」で、首里の花織に目が釘付けになった。それは、人間国宝、宮平初子氏の作品で、それまで私が南国沖縄に抱いていた浅はかなイメージを根本から覆す精緻な手仕事の技の結晶だった。
そして、「沖縄三越」に出かけると、エレベーター内のポスターを見た染織コースの林和子さんが、「やまあい工房の個展をやってる!」と歓喜の声を上げた。前夜、お月見会でご一緒した平井真人先生のスクーリングで、やんばるのオーシッタイにある「やまあい工房」に何年か前に行ったのだという。
個展会場に行くと、藍染め作家の上山弘子先生が出迎えてくれた。林さんが「先生!あの時うたっていた唄を聴かせて!」と懇願する。藍をかき混ぜる時に上山先生が唄をうたっていたのが印象的だったのだと言う。
上山先生が私たち4人にうたって聴かせてくれたのは琉球民謡「てぃんさぐぬ花」だった。澄んだ美しい声で、少しうたっては、詞の意味を教えてくれた。上山先生によって、私は初めて沖縄の心に触れたのだった。
久高島で月にお願いをして半日のうちに那覇で経験した二つの出来事で、沖縄の染織文化が急に気になり始めた。大学のシラバスを見ると、お月見会でお会いした染色作家の平井真人先生のスクーリングが3か月後の12月に八重山で開催される。「これも縁だ」と申し込み、予習で目を通したのが、染織作家 新垣幸子先生の「八重山上布」作品集だ。
ページをめくると八重山上布の素材は「苧麻」と書かれている。読めない。「芋(いも)」のようだが、ちょっと違う。調べたら「ちょま」と読むらしい。それは6年前の2008年に昭和村で目にした「からむし」のことだった。
いずれ「やまあい工房」を訪ねるスクーリングで、上山弘子先生に再会したいと思っていたが、あの美しい唄声を耳にした5か月後、先生の訃報を目にすることとなる。