【奥会津探訪】 南郷で「刺し子袢纏」を知る | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

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【奥会津探訪】 南郷で「刺し子袢纏」を知る 

2023.08.15
(写真提供:南郷刺し子会

須田 雅子(すだまさこ)

2022年6月のある土曜日、「奥会津博物館」(南会津町)で、企画展「南郷刺し子絆纏 ~伝統文化をつなぐ~」のチラシを見つけた。同南郷館の「旧斎藤家住宅」で開催されているという。南会津町の南郷地区は私の住む昭和村大芦集落から新鳥居峠を越えてすぐだが、「奥会津博物館 南郷館」には行ったことがなかった。

翌日、用事で出かけた会津田島から国道289号線を西に向かう。15、6年前に参加していたサイクリングツアーでよく通っていた道だ。ツアーバスからこの辺りの田園風景を眺めて、都会生活で疲れた心を癒していた。

「そうだ。この道だ…」と思いながら、その頃には思いもよらなかったことだけれど、ペーパードライバーだった私が、同じ道を、車を運転して走っている。茅葺き屋根の鐘楼門や枝垂れ桜で知られる「南泉寺」や、ツアーで泊まったペンションのそばの「会津高原だいくらスキー場」を通り過ぎる。駒止トンネルを越え、日帰り温泉のある「道の駅きらら289」までは下り坂を疾走したものだ。

「旧斎藤家住宅」に着くと、そこはサイクリングでランチ休憩をした「さゆり荘」のすぐそばだった(さゆり荘は2021年3月で閉館)。

「そうか、ここだったか」と思いながら茅葺き屋根の曲家に足を踏み入れる。江戸後期に建てられた中門造の古民家の重厚感漂う薄暗い空間に、まるで奥会津の夜空に広がる満天の星のように、紺地に白い刺し子がきらめく絆纏が並んでいる。南郷地区の蔵に保存されていた古い絆纏と、それにインスピレーションを得た「南郷刺し子会」のメンバーによる作品だ。

最近は手芸として親しまれている刺し子だが、もともとは厳しい生活の中、布地を補強し、保温性を高めることを目的とした東北の暮らしの知恵の一つだ。津軽の「こぎん刺し」、南部の「菱刺し」、庄内の「庄内刺し子」などがよく知られる。

ここ奥会津でも、只見町や南会津町(旧南郷村や旧伊南村)など伊南川流域に、絆纏などの衣類に刺し子を施す文化があった。そして、南郷地区では、絆纏の全面に刺し子が施された「刺し子絆纏」に強い印象を受けた人たちが、かつての手仕事の技や思いを受け継ぐために、2010年、「南郷刺し子会」を起ち上げた。

馬場荘一さんの蔵にあった古い刺し子絆纏

南会津町南郷地区の馬場荘一さんの蔵のお茶箱にあったという古い刺し子絆纏は、藍染めされた木綿の布地に白い木綿の糸で、麻の葉、七宝、桝など縁起の良い文様が施されている。

「麻の葉には、健康や魔よけなどの願いが込められていたと聞きます。七宝つなぎは人との関係が円満に繋がっていくように、枡刺しは益々繁盛など。現代のように医学も発達しておらず、刺し子に思いを込めて神頼みするしかなかったんでしょうね」と、南郷で生まれ育ち、「南郷刺し子会」の二代目会長を務める馬場純子さんが語る。

南郷では、堰普請や道普請などの共同作業に、男たちが刺し子絆纏を着ていった。刺し子絆纏は、妻の手仕事の技を自慢し合う晴れ着だったという。

「南郷刺し子会」のメンバーも、それぞれに意匠を凝らして一点物の刺し子絆纏を生み出している。

「南郷刺し子会」のメンバーの作品

昭和村ではこういうのは見たことがない。何人かに尋ねてみたが、絆纏などの衣類に刺し子というのは知らないと言う。峠一つ越えただけなのに伝わらない文化がある。