須田 雅子(すだまさこ)
三島町在住の能面作家、浅見晃司さんによる作品展『~日本の仮面譜~ 百花斉放』が、2023年5月3日(水)~6月25日(日)まで「三島町交流センター山びこ」で開催中だ。埼玉県出身の浅見さんは、能面の材料にする良質な桐に魅かれて三島町に移り住み、工房を構えて30年になる。それを記念した今回の展示会では、能面に加え、伎楽面、雅楽面などの写し150点余りが並ぶ。日本の仮面の系譜に間近に触れることのできる稀有な機会だ。
正直なところ、私はこれまで能に親しんだことがない。会場にズラリと並んだ能面の表情を一つ一つ見てまわり、また、その解説を伺って、「能面のような顔」という言葉が意味する「無表情」とは程遠いものを見出すことになった。
能面は、おもての表情の奥に底知れぬ悲しみや絶望、決して単純ではない感情や深い情念などを秘めている。能面が使われる曲の物語を知ることで、それらの理解が深まるし、物語をしらなくても直にそれらを感受する人もいるだろう。
展示会のタイトル「百花斉放」は、みんなが咲き誇ったら、みんなでそれを議論していきましょうという意味で、仮面を通して日本の伝統芸能について議論していきたいのだと浅見さんは言う。
「伎楽の面(おもて)は外国から来たものだし、鎌倉彫刻も外国の影響が強いのです。それらが国の庇護を受けるなどして、保守的に、マンネリになってきた室町時代、突如、民間から猿楽(能)が出てくる。今まで縛られていたものを打ち破り、能面(おもて)の画材もどんどん新しいものにチャレンジしていって表現の幅が広がった。言わば、芸術の突然変異です。
外国からきた伎楽はストレートに力を外に出すのです。能楽では力をだんだん中に入れるようにして、よそに広がるのではなく、上に伸びるようにした。日本人が8世紀頃に伎楽を受け入れて、そのあと500年ぐらいかけてそれを消化し、自分たちのものとして吐き出したのが能の持つ美感。外国から入ってきたものをかみ砕いて初めて、我が国の風土に根差した美意識が出来た。だから能楽は一つの文化の転機になっているのです」。
浅見さんは、世阿弥の「稽古」という言葉を引用し、「稽古」には、古(いにしえ)をおもんばかる、という意味があるのだという。未来のことはわからない。けれど過去をお手本にすることはできる。「過去をおもんばかりながら、未来への一歩を決めていくことが大事」。
浅見さんによれば、世阿弥が能という新しい芸能を打ち出したのと同じ時代に、ヨーロッパでは、中世からルネサンスへの転換のきっかけとなる音楽「アルス・ノーヴァ(新しい芸術)」が生まれ、カンボジアではクメール美術が生まれた。新しい芸術の誕生、そして隆盛が、百花繚乱というように地球規模で同時に起こった。
「様々なことが行き詰まりを見せる今は、もしかするといっぺんに潰れる時代なのかもしれない。潰れたあとに、新しいものが生まれてくる。今は夜明け前なのかもしれない」。
行き詰った芸術を次の一歩に進めるのは、どうやら民衆の力であるようだ。
さて、同じ会場の別スペースで、浅見さんの木彫り作品を集めた展示会「子供の領分」も催されている。能面作りで出た端材で作っているそうだ。
「寝食をともにしてきた材料なんで捨てるわけにもいかない」という言葉に、浅見さんのモノに対する姿勢が垣間見える。
天平時代にあったという楽器「天空琴」の音がなんともいえなかった。中に弦が張ってあり、風を受けると振動で共鳴してホワンとなる。「遠くのお寺の入相(いりあい)みたいな感じで低い音で鳴ると最高」と浅見さんが顔をほころばす。急がしい人では天空琴の音を耳にすることは難しい。奥会津の風が奏でる音色に耳を傾けるというのも味わい深いひとときだ。
会場で浅見さんを見かけたら、ぜひ声をかけてみてほしい。浅見さんの面打ちについては、いずれまた別の機会に紹介したいと思っている。