狩猟伝承研究 | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

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狩猟伝承研究

2023.11.15

菅家 博昭(かんけひろあき)

 千葉県に生まれた千葉徳爾氏(1916年~2001年)の遺稿集『新考 山の人生 柳田国男からの宿題』(古今書院、2006年)がある。
 89ページから106ページに収められた「補論 山の人生 その虚像と実像」は、1988年8月20日に福島県立博物館特別講座の講演原稿で、当時の学芸員の菊池健策氏(文化庁主任調査官)、榎陽介氏の協力で採録されている(301ページ 解説)。
 『山村習俗調査報告(福島県立博物館調査報告第14集)』(福島県教育委員会、1986年)のキブシ(木伏)における外界との連絡と滅びた職業についての図がある。「他地に出て働くか、それともその生産物を他に売るといった交通・交易を仲立ちとするものが古い山村では重要であり、つまりそのための人と物が多くの情報によって動いていたということを意味する」(101ページ)。千葉氏のフィールドノート等は、幕末と明治の博物館(茨城県大洗町磯浜8231)に寄贈された。
千葉氏は『狩猟伝承研究』(1969年)、『続狩猟伝承研究』(1972年)、『狩猟伝承研究後篇』(1977年)、『狩猟伝承研究総括篇』(1986年)、『狩猟伝承研究 補遺編』(1990年)を風間書房から出版している。また、法政大学出版局からは『狩猟伝承』(ものと人間の文化史、1975年)を出版している。

 『補遺編』第3章は「十七世紀中期における会津地方の野獣分布」。第4章には福島県内の2の事例が紹介されている(舘岩村水引、桧枝岐村大津岐)。
 第1章の「日本民族の狩猟概観」の「三 狩猟大正と狩猟法-東日本-」(10ページ)で、次のように興味深いことを書いている。
 マタギたちの指揮をするシカリの資格が、捕獲技術にすぐれた者ではなく、山中で行動する際の危険防止能力、すなわち新雪雪崩や濃霧に際して、適確に進路・待避を指示し、処置を誤らないということが第一になっていること、また、多くの禁忌がクマ狩よりもアオシシ(カモシカ)狩に際して一層きびしく守られていたことなど、マタギの行動を規制する基準はすべて、アオシシを捕るための新雪期に対応するものであったことは、もっとも適確にこの季節がマタギにとって重要であったことを示している。

 『狩猟伝承』の「はじめに」で、直良信夫『狩猟』について千葉徳爾氏は「平安朝以後は一括して三〇ページ」と省筆。少ないことを批判しそこからの部分を自分が書くとしている。そして、
 「銅鐸の鹿や猪の姿には、必ず胴の部分に丸や線が記され、犬や人間にはそれにあたるものが認められない」「縄文土偶の類似の模様、また土器や道具類に顕著にえがかれる線刻や渦紋とどのように関連するのか」「狩猟期の生活に、渦紋の必要とされた理由はなんであるのか」「生命線は内臓のシンボル」「縄文期土偶の渦状文もその象形であり、人と獣の同一視にもとづく」「人類と野獣との類型を区別する意識が確立」したとしている。

 大塚英志氏は『殺生の戦争の民俗学』(角川選書、2017年)で、恩師の千葉氏について言及している。
 千葉の「狩猟伝承論」や風土論が、任意の環境下における生物としての活動をいわば「生態学」的に観察する態度に徹底している(381ページ)。
 柳田国男は「内面」と「習慣」を問題とし、千葉は「身体」と「生態」を以て「民俗」を捉えようとした。柳田の自然主義的民俗学と千葉の自然科学的民俗学の違いはここにある。