五十嵐 乃里枝(いがらしのりえ)
最近、街場では、米がないと騒いでいるようだが、ここらあたりに住む者にとっては、何を言っているのかという思いだ。倉庫の冷蔵庫に米袋は積んである。もう少しで新米もできてくる。何をうろたえて騒いでいるのだ、と思うが、テレビで空の棚が映って「米がない。米がない。」と繰り返され、近所の店からも米が消えているとなると心底心配になってしまうのだろう。
食料品をストックしておくよりその都度スーパーやコンビニで買う方が、スペースも取らないので賢い暮らしの方法です、というようなことを主張している人がいた。しかし、これは平時であり流通もエネルギー事情もすべて問題なく機能していることが前提である、ということを忘れている。
ここ奥会津の山間部では、冬支度が始まる頃「秋上げ」と言って町場の商店から酒や食品を一冬分買って雪が降る前に配達してもらっていた。冬、雪が降ってしまうと、今のように、車が行き来できるような除雪体制はなかったため、酒やしょうゆを木箱で買い、缶詰や棒鱈、鰊などをストックしていた。今はそれほどのことをしなくてはならない集落はほとんどないだろうが、冬を越すということは一大事で、越冬食料の主役・根菜類の栽培と保存は重労働である。こうした冬の備えが必要だったということだ。
物が余るほどあると、買い手がどれを選ぶか、ということが取りざたされるため、消費者が売り買いの頂点にいるように錯覚してしまう。しかし、米がない、となると今度はいくら高くても手に入れようとする。どこかの米店に在庫があると聞くと、なんとか売ってくれと頼んだりもするだろう。立場は逆転する。よく話に聞く、戦中・戦後の食糧難の時代に、都会から高価な着物を持って農家に行っても、米と芋少しとしか交換してもらえなかった、という状況があった。
売り買いと言えば、かつて私が子供のころ近所の店に買い物に行くと、店先で「売ってくんつぇー。(売ってください)」と言って買い物をしたものだ。無言で、お金にも触れずにカードで買い物ができてしまうこの時代には考えられない言葉だが、売り買いの本質はこれだったのではないかとも思う。
今でもこの辺りではそうだが、畑に植えた夏野菜が豊作で、食べきれない時には隣近所に配る。キュウリやナスはどこの家でも作っているというのが前提だが、ナスが虫にやられてしまったときなどに、ナスをいただくのはありがたい。お礼にはその家では作っていないスイカがよくできたのでお返しする、といった交換経済が根底にある。そのうちに、お返しにスイカや代わりの野菜でなくてお金を持ってナスを譲ってもらうようになったときに、ナスを「売ってくんつぇー。」ということになったのかもしれない。「おめぇに売るナスなんてねえ!」と言われるような関係にならないよう、日ごろの付き合いも大切だったというわけだ。
金さえあれば何でも手に入る、なんていうのは、じつは幻想なんだよ、と改めて思う残暑の昼下がりである。