南会津町の奥会津博物館で、企画展「奥会津の縄文」が11月26日(日)まで開催されている。縄文草創期から縄文晩期(約16000年前~約2400年前)まで、大型のものを含め様々な土器が展示されている。
奥会津博物館で文化財専門員を務める渡部康人さんは、今回の企画展の実現に尽力した主要メンバーの一人で、奥会津で人々がどのように暮らしてきたかを知るために、現地に足を運び、大量の古文書を読み、日々、調査・研究に取り組んでいる。
渡部さんの出身地である南会津町田島地域では、これまでに46もの縄文遺跡が見つかっている。「遺跡の多さは調べる人が多いことの反映で、自分のような考古学少年がたくさんいた地域は遺跡数が増える」と渡部さんは話す。
昭和49年(1974年)の秋、当時、中学二年生だった渡部さんは、田島から自転車で針生の石橋遺跡に行き、3、4時間、地面に這いつくばって土器や石器を拾った。標高約550mの田島から標高741mの針生までの標高差は約190m。往路の長い上り坂を自転車で行くのは大変だったろうが、土器を見つけて帰途につく下り坂は、風を切ってさぞかし気分もよかったに違いない。
帰り道、渡部さんは、田島町史の編纂に関わっていた考古学者、伊藤玄三氏らに偶然出会った。「なに拾ったの?」と聞かれ、ポケットの中身を取り出して見せると、伊藤氏は土器片の山形押型文に驚き、「大発見だ!」と歓声を上げた。記者会見が開かれ、新聞で大きく報道される事態となった。はにかみながら喜ぶ渡部少年の顔が目に浮かぶ。
その渡部さんによれば、奥会津博物館が隣接する上ノ台遺跡はおそらく奥会津地域最大の縄文遺跡で、最も長い期間(縄文早期、前期、中期、後期)生活が営まれていた場所だという。子どもの頃、ここに来れば必ず石器や土器が山ほど見つかったそうで、全域を発掘すれば、青森県の三内丸山遺跡に匹敵するほどの大遺跡となる可能性が高いのだという。奥会津博物館はそういう場所に位置している。
<展示品の例>
土に雲母が含まれている。炎の中で土器の雲母はどんな煌めきを見せるのだろう。口縁部の線はヘビだろうか。同じパターンの繰り返しでないところが面白い。
私が以前訪ねた井戸尻考古館(長野県)の土器に見られる三本指より細い。『井戸尻 第8集』(富士見町井戸尻考古館 2006年)では、カエルは死と再生の象徴である月や水との関連が指摘されている。
装飾が多いが、「しゃこちゃん」(青森県亀ヶ岡遺跡出土の遮光器土偶のニックネーム)の目の形との共通性が感じられる。
(写真3点は奥会津博物館で撮影)
須田雅子