昭和村の「からむし工芸博物館」ロビーで、企画展「奥会津の縄文」が11月12日(日)まで開催中だ。縄文早期~後期(約1万1000年~約3200年前)の土器の破片が展示されており、遥か昔からこの地域に人が暮らしていたことがわかる。縄文早期の土器の破片を見ると、小さなかけらの平面にバラエティ豊かな線や点が規則正しく並んでいるものが多い。それらの模様は一つ一つが丁寧に施されていてとても愛らしい。
20年ほど前にテレビでたまたま岡本太郎のドキュメンタリー番組を見て以来、東京での会社勤めで生命力が萎えていくのを感じながらも、岡本の語る「縄文」―― それは、狩猟民的な熱い情熱や逞しい生命力を鼓舞する―― を心の支えにしていた。だが、今回、縄文早期の土器のかけらを見て、岡本の語る縄文が、基本的には縄文中期の火焔型土器を主とした呪術的要素の強い造形の土器が宿すイメージに限定されていることに気づかされた。
大芦集落の五十嵐良さんに栃餅作りを見せていただいたときに、私もトチの皮剥きを体験した。トチといえば狩猟と採集を生業としていた縄文人が食べていた堅果類の一つ。皮剥きに使った道具は木片を二つ合わせた、いたってシンプルなものだ。しかし、実を挟む部分に滑り止めの格子が刻まれていたり、取っ手に適当な角度がついた木が使われていたりと、機能性を高めるためのミニマムな工夫が見られる。
道具の端に挟んだトチの実を回しながら、上の木片で堅い皮の端の方を斜め下方向にフニフニと押し、皮に割れ目を作って剥くのだが、コツをつかむのが難しい。こういう原始的な道具を使いこなすには、道具を使う側の技や、粘り強くあきらめない精神力が欠かせない。試行錯誤を経て技を習得すれば、達成感とともに自信がつくのだろう。トチの皮剥きという作業一つが人間を心身ともに成長させる手段となり得るのだ。
トチは皮剥きにも時間がかかるが、そのほかにも流水に晒したり、あく抜きをしたり、大変な手間と時間を要する。だが、栃餅を食べるのはほんの一瞬のことで、ペロリで終わってしまう。かけた苦労に対して実にあっけない。それだけに「食べる」という行為も現代人のそれとはまったく違ったものであったに違いない。
昭和村で、私はこんなふうに縄文的なものに触れている。この村に移住して8年が過ぎたが、東京で心の支えにしていた「縄文」の生命力あふれる強いイメージは、いつの間にか私の中で必要ではなくなっている。岡本太郎が東北で感じた縄文的なものとは少し違う縄文を、私は昭和村の身近な生活の中に感じている。それは狩猟採集民だけでなく、現代の農耕民にも着実に受け継がれてきた大地に根差したものなのだと思う。
須田雅子