檜枝岐村役場の駐車場を挟んだ向かい側に「檜枝岐村歴史民俗資料館」がある。この小さな資料館の2階は日頃から縄文色が濃い。階段を上がるなり、狩猟採集生活の息吹がドッと押し寄せてくる。企画展「奥会津の縄文」は、その奥の部屋で開催。村で発掘された縄文時代の土器や土偶の破片などが展示されている。
檜枝岐村で現在確認されている縄文遺跡は、檜枝岐川の下流から、大戸沢、追分、滝沢、下ノ原、上ノ台、七入、そして新潟県境に近い只見川沿いの開墾地、小沢平(こぞうだいら)の七か所。村内最大の縄文遺跡である下ノ原遺跡は役場の周辺だ。日帰り温泉「駒の湯」を建設する前の調査で、縄文後期の土器の破片などが大量に発掘されたのだという。
縄文土器や土偶の造形、そして文様は無性に想像力を掻き立てる。檜枝岐村の展示物には柳津町や三島町のような大型のものはないが、小さな土器のかけらには丁寧に縄文が施され、渦巻きが描かれたものが多い。
今回展示されている土偶の顔は、鼻孔がやけに強調されていて、両目は一文字のやや上がり目。ハート形土偶といわれるもので、鼻梁から眉に連なる線がきれいな弧を描いている。同様の表現は仏像によくみられるが、仏像を数千年遡る時代に、山深い土地で原始的な生活をする人々が、人面の表現に同じような線を用いていたというのは興味深い。口は目鼻からすこし離して配置されており、似たような顔の土偶が、三島町や只見町など奥会津の他の地域でも見つかっている。
大島直行は『月と蛇と縄文人 シンボリズムとレトリックで読み解く神話的世界観』(寿郎社 2014, P.78)で、自立型の土偶の顔がことごとく上(心持ち上)を向いていると述べている。檜枝岐村のこの土偶の顔も斜め上を向いているとしたら、すぼめた口は息を吸っているようにも、吸った息を吐き出すところのようにも見える。大きな鼻の穴も合わせて勝手に想像(妄想?)するに、この顔が表現しているのは「息」なのではないか。
「プネウマ」というギリシャ語の言葉がある。「コトバンク」で検索すると、「ギリシア哲学で、生命の原理であり、霊魂と結びついた呼気」(精選版 日本国語大辞典)とある。また、「世界大百科事典内のプネウマの言及」には、「呼吸と生命は古来密接に結びつけられてきた。空気中のプネウマpneuma(精気)が体内に取り込まれて生体を活気づけるという考えはギリシアにひろく見られる」とある。呼吸は生命の基本であり、ギリシャだけでなくインドのヨガでも仏教の座禅でも大事な要素だ。縄文人も息について特別な思いを抱いていたのかもしれない。こればかりは望んで叶うことではないが、造形の背後にある思想について縄文人に聞いてみたいものだ。
稲作ができない檜枝岐村では、昭和30年代の只見川の電源開発を契機に村が大きな変貌を遂げる前までは、狩猟、漁労、山菜や木の実の利用などの食生活においても、狩場小屋、杓子小屋などのムコウジロ小屋(掘立小屋)をキャンプサイトとして利用する住生活においても、かなり縄文的な暮らしを続けてきた。ほんの50~60年前までのことだ。檜枝岐は縄文に最も近い村の一つであると言っても過言ではなさそうだ。
須田雅子