妄想の縄文展 柳津町 | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

奥会津文化施設間連携企画

妄想の縄文展 柳津町

2023.10.03

【やないづ縄文館 土器とくらしのミュージアム】


「なんだって ずねぇこと!」

「ふちのどこの かざりがまたいいなぁ」



やないづ縄文館に展示されている土器たちは、とにかくずねぇ(でかい)のだ。その多くが、縄文中期の石生前遺跡から出土したもので、そこからは40棟を越える竪穴式住居跡も見つかっている。どうやら今から5千数百年前の柳津には、大勢の縄文人たちが集まって村をつくり、そこでは、土器づくりも盛んにおこなわれていたようなのだ。

「柳津の土は焼き物にむいている」と聞いたことがある。粘土質で鉄分が少ない、上質の『白土(しらつち)』が多く採れるのだという。石生前で大型の土器が大量につくられたそのわけは、身近に質のいい粘土があったことと無縁ではなかったはずだ。

石生前遺跡の土器たちは大きいだけではない。新潟が誇るあの火焔型土器、岡本太郎に「なんだ、コレは!」といわしめた、うねり立ち昇る炎のような火焔型土器によく似たものが数多く見つかっている。しかもそれらは、火焔型土器の影響を受けた、「似ているもの」などではなく、火焔型誕生の始まりではなかったかともされているのだ。

土器づくりは主に女性の仕事だったという説がある。産み育てる性が、命を根源から支える煮炊きを担い、部族を護る祭祀を司り、それにまつわる土器や土偶を生み出すことは、きっととても自然なことだ。火焔の飾りをもった土器の多くは、実際に煮炊きに使われていたという。

器を火にかけ、獲物の肉や魚や山の恵みを煮込みながら、たぶん女たちは思ったのだ。器は命の坩堝でもある。命は煮込まれ、そしてわたしたちの中で循環すると。生と死はめぐりめぐり、つながっていく。煮炊きの火を、あるいは神に捧げる焔(ほむら)を見つめながら、土器づくりの女たちは、器そのものに、その真理を模そうと試みたのかもしれない。

彼女たちの指が、粘土をつかみ、立ち上げる。ある者はそこに人面を施し、ある者は幼子の足型を印す。そしてある者は、自分の腹あたりまである大型の土器の縁に、ひも状の粘土をするすると巻き付け、精巧な細工を重ねていく。
「なんだって ずねぇこと!」
「なんだか火が燃えてるみてだな」
仲間たちは口々にそういっただろうか。

柳津の、たぶん女たちが、土器に熾火を施した。それらが只見川伝いに新潟に運ばれ、命の熾火はごうごうとしたあの火焔型土器となったのだ。いったん熾きた火は、放っておいても燃え盛るのだから。

菊地 悦子(きくち えつこ)